先だって、ミュージカルミーツシンフォニー2016を観て思ったのですが、DISNY「アイーダ」っていいですね!曲が熱い!!「星のさだめ」に改めてメロメロになっています。私は2004年四季版を観ています。その時のキャストは以下です。
アイーダ・・・濱田めぐみ
アムネリス・・・佐渡寧子
ラダメス・・・阿久津陽一郎
さて、劇団四季の「アイーダ」と宝塚の「王家に捧ぐ歌」はオペラ「アイーダ」が題材です。描き方に多少違いがあります。私は四季が衝撃的なほど好みの演出だったのです。現代の美術館から始まる場面でアイーダとラダメスが転生して、同じ空間にいるのです。出会った瞬間、覚えているような、どこかで出会ったような不思議な感覚に惹きつけられる二人。この場面は最後の場面につながります。
違い①
主役の相違です。四季版はうアイーダが主役で、エチオピア王女の平和な暮らしも描かれています。ラダメスは隣国の将軍でエチオピアに攻めてきた敵です。アイーダが捕虜になって、アイーダの目線で描かれています。ラダメスは、初めて会った時はアイーダに対し捕虜への無礼な態度をとっていました。アイーダも心は開いていません。一方、宝塚版では、二人が登場と同時に愛し合ています。なぜ、好き合うようになったのか、省かれています。
違い②
アイーダ、ラダメス、アムネリウスの三角関係。まず四季版ではアムネリウスはちょっとおバカっぽく描かれています。「おしゃれは私の切り札」と歌うくらい、外見重視のお姫様です。ラダメスに振り向いてほしくて、ファラオの娘の威厳より、好きな男を追いかけまわしてる女の子です。アイーダとも仲はよくありません。勝者と捕虜の関係で少し見下した感じです。仕掛けてくるアムネリウスに対し、アイーダの凛とした態度がまた、気に障るといった感じです。父ファラオが死にアムネリウスが女王になる決意をし、ラダメスに死刑を言い渡す場面では、同じ人か?と思うほど心が成長しています。私情は挟まず王として刑を執行する言葉に、女性ファラオの覚悟が見えました。
宝塚版アムネリウスは、初めから、やたら物わかり良い女性に見えました。片思いに苦しんではいるけれど、王女としての飲み込んでます。それが意地悪なのか、ファラオの娘としてのプライドなのか…?しかし父王を殺されてもしっかりしているところは、王族らしさを感じました。
違い③
テーマです。四季版では「愛」につきます。宝塚版は「平和」でしょうか。宝塚版は「愛」の要素が薄いのです。もっとアイーダとラダメスの悲恋を成就するような「愛の時」が観たかったのです。「世界に求む」の歌は名曲です。私も大好きです。現代でも考えさせられる大事なテーマです。どんなに戦争しても、堂々巡りだと身をもって教えたラダメスが宝塚版です。
まとめ
四季版は最後、生き埋めになるラダメスの名台詞が忘れられません。
「100回生まれ変わっても、また君を見つけ出すよ」この言葉が衝撃でした。転生して、冒頭の何百年か後の美術館にたどり着きます。時空を超えても魂が求めあっている、すごく強い想いですよね。
宝塚版も四季版もテーマも曲も違い、余韻を楽しめます。宝塚版を観た後はしみじみとスッキリし、四季版の後は激しい恋のあと、といった感じで心拍数があがりました。
「王家に捧ぐ歌」は5月5日~28日まで博多座公演です。
以下「王家に捧ぐ歌」です↓